2017年11月21日火曜日

ハイネケン・ラドラム

【神聖暦5038年 2の月4日 雪】

 僕がメリザンドにやって来て、ちょうど一月が過ぎた。
 僕は相変わらず、リオーネ西地区の調査を続けている。
 今日の午後、他の調査で現地入りが遅れていた僕の相方――先輩にあたるハイネケン・ラドラムが到着した。
 彼は、僕より二つ三つ年上に見える。
 四方にはねた金褐色の髪と青い目の、明るい雰囲気を持つ長身の男性だった。
「すっかり遅くなっちまって、悪ぃな。一月も、あんた一人にやらせちまった」
 言って彼は、笑って僕の方に手を差し出す。
「ハイネケン・ラドラムだ。よろしくな」
「ニコライ・オーランドです」
 僕はその手を取って、名乗った。
「ニコライ……ニコ、でいいかな。俺のことは、ハイネと呼んでくれ」
「はい」
 僕は、うなずく。
 そして、少しだけホッとした。
 この人とは、研修期間中も会ったことがなかったし、補給部隊の面々からちょっとした噂ぐらいは聞かされていたけれど、実際には初対面に等しい状態だったのだ。
 だから、彼がいよいよやって来るとの本部からの連絡を受けて、どんな人なんだろう、うまくやって行けるだろうかと、不安だったのだ。
 でも、こうして対峙してみた印象は、そう悪くはなかったので、なんとかやって行けそうだと、感じていた。
 挨拶が済むと、僕たちは《白の広場》に張ったテントに腰を落ち着ける。
 彼の要請で、まずはこの一ヶ月の僕の成果を報告する。
 本部に送った報告書や定期連絡の内容は見聞きしているようだったが、彼いわく、実際に僕の口から話を聞きたいのだそうだ。
 彼は、僕の話を言葉を挟むことなく黙って全て聞いたあと、少し考えてから口を開いた。
「……この街が封鎖されたのは、ただ妖魔化病の蔓延のせいばかりでは、ないかもしれないな……」
「え?」
 驚いて、僕は目を見張る。
「あの当時、東ゲヘナは国内の何ヶ所かに軍の極秘の研究施設を造っていたらしい。……ほれ、一昨年だったかに、その設立に関わっていたとかいう軍の元おえらいさんが暴露本を出して、世間を騒がせただろうが」
 言われて、僕はそんなこともあったと思い出した。
 当時は僕も興味を惹かれて、その電子書籍を購入して読んだ覚えがある。
 それによれば、当時、東ゲヘナ政府と軍部の間では、妖魔化病は旧エテメナンキが大規模な人体実験を行っているのではないかという考えが主流だったらしい。そこでひそかに、その脅威に備えて軍備の増強を計るため、そうした極秘の研究施設が造られていったのだそうだ。
 施設で研究されていたものの中には、動物などによる実験を必要とするものもあったようだ。
 たとえば、人を一瞬にして眠らせたり殺したりしてしまうような薬だったり、細菌兵器や毒ガスなど。
 それを読んだ時には、結局やっていることは旧エテメナンキと変わらないじゃないかと思ったものだけど……。
 なんにしろ、そうした施設の中には実験の失敗や、開発途上の兵器の暴走によって建物や職員らに被害が出たものもあったそうだ。
「あ……。もしかして……」
 それを思い出して、僕は思わず声を上げる。
「この街にもそうした施設があって、そこで行われていた研究が失敗したのかもしれない……と?」
「ああ。そして、そうしたこと全てを隠蔽するために、妖魔化病にかこつけて街自体を封鎖した――ってとこじゃないかな」
 僕の言葉にハイネはうなずいて言った。
「ま、そのあたりは調査を進めて行けば、はっきりするだろうがな」
 続けて言うと、彼はノート型のコンピューター端末のモニターに表示された、この街の地図を示す。
「火災の痕は、北側の方がひどいんだったよな。……なら、こっち側を先に調査しないか?」
「北側……ですか」
 僕は示された地図を見やって少し考え、うなずく。
「わかりました。……それで、北側のどこを?」
「ここだ」
 彼が指さしたのは、北側に広がる小高い丘、ノーランド・ヒルだった。
 そこには、ノーランド農場という大きな農場と、その持ち主だったマクミラン・ノーランドの屋敷があった。
 ドローンが映した動画を見る限りでは、屋敷も農場もほとんどが焼け落ちてしまい、残っているのは瓦礫ばかりだった。
 ただ、僕たちがもらったこの街の資料には、封鎖以前に撮られた農場と屋敷の写真が添付されていた。
 それを見る限りでは、随分と大きくて立派な施設だったことが伺える。
 農場では、野菜や果物の栽培の他に、山羊の飼育も行っていて、山羊のチーズや乳、肉とその加工品も扱っていたようだ。
 また、ノーランド家は代々、街の発展にも貢献していて、そのため一家は常に名士の一族として尊敬と崇拝を集めていたらしい。
「北側の地域で、一番燃え方がひどいのは、このノーランド・ヒルだ。……つまり、火元はここだった、という可能性が高い」
 ハイネの言葉に、僕は小さく目を見張る。
 言われてみれば、そうだ。一番激しく燃えている、ということは、そこから火が出たと考えるのが普通だろう。
「……すみません。僕、全然そういうことを、考えてみませんでした」
「謝ることはないさ。俺が言ってるのは、ただの可能性の問題にしかすぎないわけだしな」
 思わず謝罪する僕に、ハイネは笑って言うと、続けた。
「それに、あんたは母親の生家にも、行ってみたかったんだろう?」
「あ……。ええ、まあ……」
 それも知られているのかと少し驚きながら、僕は曖昧にうなずく。
「なら、しようがないさ」
 ハイネはもう一度笑うと、肩をすくめた。

 そんなわけで、僕たちは明日から、一番北にあるノーランド・ヒルを調査することになったのだった。

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