【神聖暦5038年 1の月4日 くもり】
昼過ぎ、調査対象である廃都市メリザンドに到着した。
これから一年間を、僕はここで過ごすことになる。
メリザンドは、東ゲヘナ共和国の北部にあって、北の軍事国家マルガレーテと西に広がる西ゲヘナ共和国双方の国境近くにあった。
神聖暦5000年に、当時流行した妖魔化病によって滅んだ……とされている。
もっとも、手元にある資料には、街を滅ぼしたのはほかでもない東ゲヘナ政府であると記されているけれども。
当時、妖魔化病の罹患者は市民の半数にまで及んだと、資料にはあった。
妖魔化病は文字通り、罹った者は妖魔のようになってしまう。
全身がなる場合もあるし、体の一部分だけという場合もあるようだ。
一部分だけの場合はまだ、人間としての意識が残っているけれど、問題は全身が妖魔化した場合で、人間としての意志はなくなり、たいていは本物の妖魔と同じく、人間を襲うのだという。しかも、始末の悪いことに、この病によって妖魔になった者は死んだあと悪霊と呼ばれる動き回る死者となる。悪霊もむろん人間を襲うし、悪霊に襲われて死んだ者もまた悪霊になる。
つまり、半数の罹患した市民たちは、健康な市民たちにとって大きな脅威だったとも言える。
ちなみに、悪霊を滅ぼすためには、退魔師の魔法によって浄化してもらうか火で焼くしかない。
そうしたことから、当時の東ゲヘナ政府は街を封鎖したあと、秘密裡に軍を動かして市民を街ごと焼き殺したのだ。
それはむろん、妖魔化病を伝染病だと判断したためもあっただろう。
こんな病を国内の他の地域にまで広めるわけにはいかないとの、苦肉の策だったに違いない。
ただ実際には、妖魔化病は伝染病ではなかった。
この惑星を包む電磁波が遺伝子に影響して引き起こされるもので、現在では誰もがそうした原因を知っているし、ワクチンも存在する。
けれど、当時はそうした情報もワクチンもなく、東ゲヘナ政府はただ目の前にある事態を一刻も早く収拾するために、こうした非情な判断を下すしかなかったのだろう。
とはいえ政府は当時、メリザンド市民を焼き殺したことを、巧妙に情報操作して隠蔽してしまっていたのだが。
当時のメリザンドの人口は五万人ほどだ。
それだけの人々を政府の命令で殺したと知れれば、当然、国の内外から非難の声が上がるだろう。
だけでなく、その半数が罹患し、もうこうする以外に病の蔓延を食い止める手立てがなかったのだと知れば、国民の間に不安と恐慌が広がるだろうことも目に見えている。
だから政府は、罹患者は国の研究機関に入院させ、無事だった市民も街から退去させたと喧伝し、メリザンドを封鎖した。
事実が明かされ、街の封鎖が解かれたのは、ほんの十年ほど前のことだ。
そんなメリザンド市を、『アニエス廃都市調査室』が調査することになった。
ちなみに、これが僕の所属する機関だ。
世界的な総合企業であるアニエス商会が世界連合からの協力を得て創設した機関で、各国の廃墟と化した集落を調査し、過去のさまざまな遺産を保存すると共に、集落を再生可能かどうかの判断も下す。
三十年ほど前に創設されたもので、もともとの目的は、神聖暦5000年に解体された《神の塔》に住んでいた人々と海に沈んだライリア国民の住居を確保するのが目的だったそうだ。
それが今も続いているのは、一時は世界的に問題になっていた出生率の低下が徐々に解消されて、人口の増加が見込めるようになって来たせいなのかもしれない。
そして、このメリザンド市の調査は僕にとっては、初仕事でもある。
調査室に就職して、三ヶ月間の研修期間が終わったばかりの僕に、室長のイズミ・アニエスは言った。
「ニコライ・オーランド、君に東ゲヘナの廃都市メリザンドの調査を任せる」
「僕が……ですか?」
「そうだ」
問い返す僕に、室長はうなずいて続けた。
「しかも、当面は君一人だ。……研修が終わったばかりの新人には、少しばかり大変だと思うが、うちも人手不足でね。君とコンビを組む予定のハイネケン・ラドラムは、他の調査の手伝いでもうしばらくメリザンドには向かえそうにない。なので、すまないが」
その言葉に、僕は驚く。
調査はかならず二人一組で行うものだと言われていたし、研修の時でさえ相棒がいたからだ。
だが、そう命じられたからにはしかたがない。
それに、調査地であるメリザンドは、もともと僕が希望していた都市だったから、そのことに否やはなかった。
「了解しました」
威儀を正してうなずく僕に、室長はにっこりと笑う。
「いい返事だ。……では、明後日には出発してもらう。これはメリザンドの資料だ。行くまでに読んでおけ」
「はい」
差し出されたUSBメモリーを受け取り、僕は再度うなずいた。
こうして僕は、このメリザンドへとやって来た。
調査室のあるマリア公国の首都マリーから、小型飛空艇で約三時間ほどの旅だ。
キャンプ用のさまざまな資材や、水・食料などは当然ながら、全て調査室が用意してくれている。
水、食料、燃料、それに衣類などの生活必需品は一週間に一度、調査室の補給部隊がマリーからここまで運んでくれることになっていた。
「他に必要なものがあれば、定期連絡の時にでも伝えてくれれば、一緒に持って来よう」
補給部隊のラガー隊長は、別れ際、そう言ってくれた。
ともあれ、こうして僕の初仕事が始まったのだった。
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