2017年9月27日水曜日

定期連絡 2

ニコライ:本日、リオーネ地区の調査が終了しました。
イズミ:ご苦労だった。
    保存状態はどうだ?
ニコライ:火事の痕はほとんどなく、比較的いい状態でした。
      ただ、不思議ではありますね。当時軍は、本当に街全体に火を掛けたのでしょうか。
イズミ:資料では、そうなっているがな。
     ところで……母親の家には行けたか?
ニコライ:え?
イズミ:君の母親の実家もたしか、リオーネ地区にあったはずだが。
ニコライ:ご存じだったんですか……。
イズミ:新たに雇う者に対しては、一応、身元調査をしているのでな。
ニコライ:そう……なんですか。
イズミ:ショックか?
ニコライ:いえ、そういうわけでは……。
イズミ:それで? どうだったんだ?
ニコライ:はい、母の家にも行って来ました。……なんだかちょっと、変な感じでした。
      僕の知っている母は、大人の女性なのに、部屋にあるものは、少女めいていて……。
イズミ:それはしかたがないだろう。実家にいたのは、十代のころなのだろう?
ニコライ:はい。それはそうですが……。
イズミ:(小さく苦笑して)まあいい。引き続き、調査を頼む。
ニコライ:了解です。


2017年9月26日火曜日

母の家

【神聖暦5038年 1の月22日 雨】

 メリザンドに到着して半月ほどが経過した。
 最初に着手したリオーネ地区の調査も、そろそろ終わる。
 リオーネ地区はリオーネ大通りを挟んで西に広がる、リオーネ西地区と共に、庶民が多く住んでいた区域だ。
 そのせいか、立ち並ぶ家屋はそれほど高級なものではなく、古く老朽化したものも多かった。
 ただ、火災の痕はほとんどなく、どの建物も中は当時のまま残っている状態だった。
 そうした家々を調査して回るうち、僕は母の家もこの区域の中にあるのだと気づく。
 ――いや、それは嘘だ。
 僕は最初から、母の家がこの区域にあることを意識していた。
 そもそも僕が、メリザンドを希望したのは、ここが母の生まれ育った街で、母の生家があるためだった。
 住所もちゃんと把握している。
 なのに、後回しにしていたのは、母に了承を得ることなく若いころの母の記憶を残す家に踏み入ることを、少しばかり躊躇したためだ。
 とはいえ、ためらってもしかたがないことは、僕にもわかっている。
 母はもう亡くなっていて、許可をもらうことはできないし、僕の仕事はこの街を調べることなのだから。

 母の家は、リオーネ地区の東端にある住宅街の一画にあった。
 ここも、火災に遭うことなく残っていた。
 庭は、植物が伸び放題に伸びて、まるでジャングルのようになっている。
 母が昔、子供のころによく乗ったと話してくれたブランコは苔とつる草におおわれて、まるで何かのオブジェのようだった。
 母の名前は、ミリアム。
 旧姓はカーゴだ。
 彼女は、十七歳までをこの街で過ごした。
 十七の春に、母親(僕にとっては祖母)ジュリエッタと共に、別の都市に住む母方の叔父を見舞いに出かけて、二日後に戻ってみたら街には入れなくなっていたのだという。
 そのあと軍によって拘束されて、厳重な検査を受けさせられ、更に一年近く監視されたあと、ようやく解放されて母親と共に都アルスレートに移り住んだ。そこで、僕の父と出会い結婚し、僕を産んだというわけだ。
 当時は妖魔化病が疫病だと思われていたせいで、彼女は何一つ家から持ち出すことが許されなかったのだという。
 それどころか、旅行に持って行った荷物も、その時に身に着けていたものも全て軍に没収されたそうだ。
 むろん、衣類や当座の生活必需品は代わりのものが軍から支給されはした。
 だが母は、生前に当時をふり返って「全てを奪われた心地がした」と、悲しげに言っていたものだ。
 妖魔化病が疫病ではないことがはっきりしたあとも、東ゲヘナ政府はこの街を封鎖し、誰の立ち入りも許さなかった。
 その封鎖が解かれたのは十年ほど前だが、そのころすでに父は亡く、母は僕を育てるために懸命に働いていて、とてもではないが旅行をするような余裕はなかった。
 そして結局母は、一度もこの街に戻ることなく、五年前に死んだ。

 子供のころの、そして十代のころの母はどんなふうだったのだろう。
 僕は家の中を、ゆっくりと見て回った。
 母の家は、この地区にあるものとしては、比較的大きかった。
 短い階段のある玄関ポーチを抜けてドアを開けると、小さ目のエントランスが広がる。天井は吹き抜けで、右手には二階へと続くゆるくカーブした広い階段があって、正面は奥へと続く廊下だ。
 二階には三つ部屋があって、一つは客室だろうあまり生活感のない部屋で、残る二つは母とその弟の部屋だと知れた。
 弟(……僕にとっては、叔父にあたるのだが)の部屋の方は、ひどく雑然としていて、いろんなものがベッドの上や書き物机の上に積み上げられていた。あまり、整理整頓は得意じゃなかったようだ。
 一方の母の部屋は――入るなり、母の部屋だとわかる、僕にとってはひどくなじみ深い雰囲気に包まれていた。
 あまり甘すぎない、少しだけシックな色合いのレースのカーテンや、壁に飾られた写真。窓際に吊るされたすっかり朽ちてしまっているドライフラワーや小さな手作りの壁飾り――そういったものは、僕が幼いころからごく普通に、自分が育った家の中で見て来たものだったからだ。
 部屋の隅の棚の上には、たぶん当時は部屋を華やかにするのに一役買っていたのだろう、瓶詰めの植物標本がいくつか並んでいる。
 その隣には、手作りのスタンドに挟まれて、珍しい紙の本が何冊か置かれていた。表紙には、母の手作りだろうブックカバーが掛けられている。
 書き物机の引き出しには、リボンやアクセサリー類が蓋のない木の箱に入れられて並んでいた。
 それと共に僕は、ペンと紙のノートを発見する。
 ……そういえば、母が昔、話していたことがあったっけ。この街に住んでいたころは、紙のノートにペンを使って日記をつけていたと。
「仲良しの女の子の間で、流行していたの。……もともとは、セアラがね、昔は紙にペンで書いて記録するのが主流だったって話してくれて、それで面白そうってなって、みんなで始めたのよ」
 母は、まるで十代の少女のように頬を染めて、そんな話をしてくれたものだ。
 当時僕はそれを聞いて、「女の子って、変な事を面白がるんだなあ」なんて、ちょっと不思議に思ったものだった。
 たぶん、三十八年前でも、紙にペンで何かを記録する人は少なかったと思う。
 三百年ぐらい前までは、紙とペンも一般的によく使われていて、手紙のやりとりが行われたり日記が書かれたりしていたらしいけれど……今はもう、そういう文化はほとんど廃れてしまっている。
 記録は携帯端末機で簡単にできるし、誰かに連絡を取りたい時や文書を送りたい時は、たいていはメールを使うのが普通になって来たからだ。
 けれど。
 僕は、なんとなく新鮮な気持ちで紙のノートを開いた。
 そこには、すっかり色あせたインクで書かれた、見慣れた母の文字が並んでいる。
 十七歳のころの母の日記――なんだか、見るのが後ろめたい気もするが、一方ではすごく興味を惹かれた。
 少しためらってから、僕はそれを持ち帰ることにして、収集用のカバンに入れた。
 机の引き出しには、他にもいろいろなデザインのレターセットや、使われていない新しいノートなどがしまわれていた。
 それらをパラパラとめくって中を改め、それからちょっと気後れしつつも僕は、今度は壁に組み込まれたクローゼットへと向かう。
 その中には、服やバッグや靴が、当時のまま色あせて残されていた。
「パパに誕生日のプレゼントにもらった靴、とっても気に入っていたのよ。軍の人に、それだけでも取りに戻りたいって言ったけど、ダメだって。中は火を掛けたから、そもそも何も残っていないだろうって、怖い顔をして言われたわ」
 脳裏に、生前の母のそんな言葉がよみがえる。
 この中のどれが、母の言っていた靴なのかはわからないけれど……何もかも無事な様子を見たら、母は喜んだだろうか。それとも、放置され色あせ古びてしまった持ち物たちに、悲しんだだろうか。
(少し、感傷的になりすぎるな……)
 僕は、自分で自分の考えに苦笑して、クローゼットのドアを閉めた。
 僕がこの調査で収集しなければならないのは、当時の人たちの生活や想いなどを忍ばせるようなもの――つまり、文書や映像などに残された彼らの生活記録とでも言ったようなものなのだ。
 だから、衣類や靴などは、そこに記録機能がない以上、収集対象にはならないのだった。
 僕は最後に、記憶に焼き付けるように部屋の中をゆっくり見回してから、そこをあとにした。

2017年9月18日月曜日

定期連絡 1

ニコライ:本日、メリザンド市に到着。都市中央の『白の広場』にテント設営完了しました。
オペレーター:ご苦労様です。そちらの様子はどうですか?
ニコライ:天気は快晴です。かなり寒いですけれどもね。
      到着後、ドローンで都市上空から全体をざっと撮影してみました。動画は届いてますか?
オペレーター:はい。届いてます
ニコライ:それで見たところ、街の北側はかなり燃えていますが、南側はそうでもありません。
オペレーター:今、映像を確認しています。……はい、そうですね。
ニコライ:もらった資料には、東ゲヘナの軍が街に火を掛けたとありましたが、この焼け方は……。
      なんだか、北側一帯が火事にあったとでもいう感じで、ちょっと不自然に感じます。

オペレーター:そうですね。……では、そのあたりも考えに入れて調査してもらえますか?
ニコライ:わかりました。
      とりあえず、南側のリオーネ地区から、調査を始めたいと思います。

オペレーター:了解しました。
ニコライ:それでは、定期連絡を終わります。

メリザンド到着

【神聖暦5038年 1の月4日 くもり】

 昼過ぎ、調査対象である廃都市メリザンドに到着した。
 これから一年間を、僕はここで過ごすことになる。
 メリザンドは、東ゲヘナ共和国の北部にあって、北の軍事国家マルガレーテと西に広がる西ゲヘナ共和国双方の国境近くにあった。
 神聖暦5000年に、当時流行した妖魔化病によって滅んだ……とされている。
 もっとも、手元にある資料には、街を滅ぼしたのはほかでもない東ゲヘナ政府であると記されているけれども。
 当時、妖魔化病の罹患者は市民の半数にまで及んだと、資料にはあった。
 妖魔化病は文字通り、罹った者は妖魔のようになってしまう。
 全身がなる場合もあるし、体の一部分だけという場合もあるようだ。
 一部分だけの場合はまだ、人間としての意識が残っているけれど、問題は全身が妖魔化した場合で、人間としての意志はなくなり、たいていは本物の妖魔と同じく、人間を襲うのだという。しかも、始末の悪いことに、この病によって妖魔になった者は死んだあと悪霊と呼ばれる動き回る死者となる。悪霊もむろん人間を襲うし、悪霊に襲われて死んだ者もまた悪霊になる。
 つまり、半数の罹患した市民たちは、健康な市民たちにとって大きな脅威だったとも言える。
 ちなみに、悪霊を滅ぼすためには、退魔師の魔法によって浄化してもらうか火で焼くしかない。
 そうしたことから、当時の東ゲヘナ政府は街を封鎖したあと、秘密裡に軍を動かして市民を街ごと焼き殺したのだ。
 それはむろん、妖魔化病を伝染病だと判断したためもあっただろう。
 こんな病を国内の他の地域にまで広めるわけにはいかないとの、苦肉の策だったに違いない。
 ただ実際には、妖魔化病は伝染病ではなかった。
 この惑星を包む電磁波が遺伝子に影響して引き起こされるもので、現在では誰もがそうした原因を知っているし、ワクチンも存在する。
 けれど、当時はそうした情報もワクチンもなく、東ゲヘナ政府はただ目の前にある事態を一刻も早く収拾するために、こうした非情な判断を下すしかなかったのだろう。
 とはいえ政府は当時、メリザンド市民を焼き殺したことを、巧妙に情報操作して隠蔽してしまっていたのだが。
 当時のメリザンドの人口は五万人ほどだ。
 それだけの人々を政府の命令で殺したと知れれば、当然、国の内外から非難の声が上がるだろう。
 だけでなく、その半数が罹患し、もうこうする以外に病の蔓延を食い止める手立てがなかったのだと知れば、国民の間に不安と恐慌が広がるだろうことも目に見えている。
 だから政府は、罹患者は国の研究機関に入院させ、無事だった市民も街から退去させたと喧伝し、メリザンドを封鎖した。
 事実が明かされ、街の封鎖が解かれたのは、ほんの十年ほど前のことだ。

 そんなメリザンド市を、『アニエス廃都市調査室』が調査することになった。
 ちなみに、これが僕の所属する機関だ。
 世界的な総合企業であるアニエス商会が世界連合からの協力を得て創設した機関で、各国の廃墟と化した集落を調査し、過去のさまざまな遺産を保存すると共に、集落を再生可能かどうかの判断も下す。
 三十年ほど前に創設されたもので、もともとの目的は、神聖暦5000年に解体された《神の塔》に住んでいた人々と海に沈んだライリア国民の住居を確保するのが目的だったそうだ。
 それが今も続いているのは、一時は世界的に問題になっていた出生率の低下が徐々に解消されて、人口の増加が見込めるようになって来たせいなのかもしれない。
 そして、このメリザンド市の調査は僕にとっては、初仕事でもある。
 調査室に就職して、三ヶ月間の研修期間が終わったばかりの僕に、室長のイズミ・アニエスは言った。
「ニコライ・オーランド、君に東ゲヘナの廃都市メリザンドの調査を任せる」
「僕が……ですか?」
「そうだ」
 問い返す僕に、室長はうなずいて続けた。
「しかも、当面は君一人だ。……研修が終わったばかりの新人には、少しばかり大変だと思うが、うちも人手不足でね。君とコンビを組む予定のハイネケン・ラドラムは、他の調査の手伝いでもうしばらくメリザンドには向かえそうにない。なので、すまないが」
 その言葉に、僕は驚く。
 調査はかならず二人一組で行うものだと言われていたし、研修の時でさえ相棒がいたからだ。
 だが、そう命じられたからにはしかたがない。
 それに、調査地であるメリザンドは、もともと僕が希望していた都市だったから、そのことに否やはなかった。
「了解しました」
 威儀を正してうなずく僕に、室長はにっこりと笑う。
「いい返事だ。……では、明後日には出発してもらう。これはメリザンドの資料だ。行くまでに読んでおけ」
「はい」
 差し出されたUSBメモリーを受け取り、僕は再度うなずいた。
 こうして僕は、このメリザンドへとやって来た。
 調査室のあるマリア公国の首都マリーから、小型飛空艇で約三時間ほどの旅だ。
 キャンプ用のさまざまな資材や、水・食料などは当然ながら、全て調査室が用意してくれている。
 水、食料、燃料、それに衣類などの生活必需品は一週間に一度、調査室の補給部隊がマリーからここまで運んでくれることになっていた。
「他に必要なものがあれば、定期連絡の時にでも伝えてくれれば、一緒に持って来よう」
 補給部隊のラガー隊長は、別れ際、そう言ってくれた。

 ともあれ、こうして僕の初仕事が始まったのだった。