2018年6月20日水曜日

資料1

メリザンド市の調査にて収集された、当時の人々の生活資料。
17歳の少女の手紙。
その他の、一緒に収集された資料から、この手紙は書かれたものの出されないままに市の封鎖の日を迎えたものと思われる。
以下、その手紙を掲載する。

拝啓 リベラ様

 ペンダントを壊して、ごめんなさい。
 あれが、あなたにとってとても大切なものだっていうのはわかっていたのに、私のミスで壊してしまった……。
 本当にごめんなさい。
 でも、信じて。
 けして、わざとやったわけではないの。
 今更こんなことを書いても、言い訳としか思われないかもしれないけど――。
 私、左の目がよく見えないの。
 だからあの時、あなたのペンダントが落ちていることに気づかなくて、それで踏んでしまったの。
 ごめんなさい。本当にごめんなさい。

 左目が見えなくなったのは、一月ほど前からよ。
 遅刻しそうになって走っていて、人にぶつかったって話したことがあったでしょ?
 あのあと、なんだか左目がぼんやりするようになって、治療師に見てもらったら、白内障だって言われたの。
 まだ十七なのに、老人みたいで恥ずかしいし、気を遣わせるかもしれないって思って、両親にしか話してなかったの。
 治療師からは、ちょっとした手術ですぐに治るって言われたけど、それも怖くて……迷っているうちに、あなたの大切なペンダントを壊してしまったのよ。
 だから、今は後悔してるの。
 こんなことになるのなら、すぐに手術してもらって治せばよかったって。

 あなたにとって、あのペンダントは亡くなったおばあさんの形見だったのよね。
 だから、あれが壊れてあなたがどれだけ辛かったか、私のことをどれだけ怒っているのかは、わかってる。
 でも、だからってあれからもう半月にもなるのに、全然口を利いてもらえないのは、私も辛い……。
 メールも着信拒否にされているし……。
 だから、こうして手紙を書いたわ。
 お願いだから、私を許して。
 私はまた、以前のようにあなたと仲良くしたいの。

 これを読んだら返事をちょうだい。
 メールでも、電話でも……ううん、同じように手紙でもいいわ。
 私、何度でも謝るから。

 本当に、本当にごめんなさい。

                神聖暦5000年3の月12日
                 アニー・イプセン

2017年11月26日日曜日

ノーランド・ヒル

【神聖暦5038年 2の月5日 雪】

 朝から雪がちらつく中、僕とハイネはノーランド・ヒルへと出発した。
 《白の広場》からは距離があるのと、調査は何日にも及ぶだろうことを考え、僕たちはテントをたたみ、拠点ごと移動することになった。
 そんなわけで、朝早くに起きて小一時間ほど撤収作業にいそしんだあと、僕たちはジープでメリザンドの北の端へと向かう。
 《白の広場》からノーランド・ヒルへは、市の目抜き通りであるファング大通りを真っ直ぐに北へ進めばいいだけだ。
 大通りに沿って並ぶ建物はどれも、ほとんどが焼け落ちて、瓦礫と化している。
 その間に、植物が盛大に繁殖しているのだが――どれも、異様なほどに大きかった。
「……すごい……」
 ドローンで映した動画を目にしてはいても、やはり実際に見るのとではずいぶんと印象が異なる。
「廃墟となった都市は、全部こんなふうに植物が繁殖している……わけではないですよね?」
 僕は、ジープを運転しているハイネをふり返り、問うた。
「ああ。……むしろ、ここみたいなのは珍しいな」
 うなずいてから、彼は僕に言う。
「植物の写真も撮っておいてくれ。向こうに着いたら、植物についても検索してみよう」
「はい」
 僕は答えて、植物群へとカメラを向けた。
 カメラのファインダー越しに覗く植物たちは、更なる迫力を持って、僕に迫って来る。
 下の方が崩れてしまった建物の、屋根から突き出すように生えた樹木があるかと思えば、上へと伸びる建物を抱えるように茎を巻き付かせている植物もあった。後者はまるで、植物が建物の倒壊を防ごうとしているようにも見える。
 樹木の多くは冬のさなかだというのに、青々とした葉を茂らせていた。花をつけているのは、この季節に咲く植物だろうか。
(あの花……母さんのノートにあった……)
 通り過ぎて行く景色の中に、見覚えのある花を見つけて、僕は胸に呟く。
 大きな花弁を持ちながら、白く、どこかはかなげな雰囲気を持つその花。名前はたしか――。
「メリザンド……」
 思わず声に出して呟いてしまった僕を、ハイネが怪訝そうにふり返った。
「なんだ?」
「あ……。すみません。あの花の名前を思い出したものですから」
 言って僕は、ちょうど近くに見えていたその花の方を指さす。
「あの花、メリザンドっていうんです。……この街の、名前の由来になった花だって」
「ああ……言われてみれば」
 そちらを見やって、ハイネはうなずいた。
「……ハイネは、この花のこと、知ってるんですか?」
「まあな」
 曖昧に答えて、ハイネは言う。
「そのことはまた、ノーランド・ヒルに着いたら教えてやるよ」
「はあ……」
 僕もまた曖昧にうなずいた。

 そうやって周辺の植物をカメラに収めたり、あれこれ話したりしながら僕たちは、ほどなくノーランド・ヒルに到着した。
 ファング大通りの終点から道は坂になり、それを登り詰めると巨大な鉄の門が姿を現す。
 それが、かつてのノーランド農場の正門だった。
 農場は、この正門を基点として、ぐるりと鉄の柵で囲まれている。
 ただし、当時と違って今はほとんどが錆びつき、つる植物におおわれていた。中には、壊れてしまっている箇所もあるようだ。
 むろん、正門には鍵はかかっておらず、開けっ放しだった。
 なので、僕たちのジープはそのままそこを通り抜け、更に先へと進む。
 資料に添付されていた写真によると、この門の少し先から左右には果樹園や野菜畑が広がり、その先にそれらを収穫したあとの作業を行うための工場があって、その更に奥にノーランド一家の屋敷があったようだ。
 だが今は、果樹園も野菜畑も跡形もない。
 おそらく作物は、火災で全て焼けてしまったのだろう。
 そのあと、まったく人の手の入っていない畑は、ただの荒れ地と化して雑草がひたすら伸び放題に伸びているばかりだった。
 ただ不思議なことに、それらはここに来るまでに見たような、異様に巨大なものではなく、ごくあたりまえの――誰も手をつけなければこんなものだろうなと納得できる程度の育ち方だった。
 工場の方はほとんどが焼け落ちてしまっていて、ここもまた雑草におおわれていた。
 屋敷も似たような状態だったが、こちらは工場よりは建物が残っている。
 農場の敷地と区別するためだろう。屋敷の方にも最初に通ったのよりは小さめの門があって、周辺は最初のものよりも装飾的な鉄の柵に囲まれていた。といっても、これも錆びてしまっている上に、蔓草が大量に絡みついて、なんだかわからないありさまだったけれど。
 僕たちはそこを抜けて、屋敷のかつては庭だったらしい一画へとジープを乗り入れた。
「……このあたりでいいか」
 ハイネが呟き、ジープを止める。
 そこは、おそらく庭の中央付近で、大きな噴水のある場所だった。
 といっても、すでに水は噴き出しておらず、水盤の上に塔のような飾りのあるそれは苔と植物におおわれてしまっていたけれど。
 僕たちはジープを降りて、テントの設営を始めた。
 もともと一人でもさほど時間をかけずに設営できる簡易テントは、二人でやるとあっという間だった。
 作業を終えて、僕はなんとなくあたりを見回す。
「……ここって、なんだか《白の広場》に似てますね」
「ああ。ノーランド・ヒルってのは、この街における領主様のお城、のような場所だったらしいからな。ここも、広場に似せて造ったって聞いた」
 僕の呟きに、ハイネが言った。
「そうなんですか?」
 そちらをふり返って、僕は首をかしげる。資料に、そんなこと書かれてあったっけ。
 彼は僕の疑問を察したらしい。
「今のは、資料には載ってない。ただ、俺が昔聞いた話だ」
 小さく肩をすくめて言った。そして、続ける。
「俺も、東ゲヘナの生まれなんだ。両親の離婚で、小さいころから母方の祖父母に育てられてな。その祖父母が、東ゲヘナ国内や他の国のことなんかの昔のことを、寝物語に聞かせてくれた。その中に、この街のこともあったんだよ。街の名前が花に由来しているってのも、その時に聞かされた話だ。それはともかく――祖父いわく、メリザンドの街は、ノーランド家が統治しているようなもんだってな。市長だって、市の議員たちだって、みんなノーランド家のお墨付きをもらって初めて当選するし、議会自体がノーランド家の意向を無視しては動かない。そんな街だから、市の封鎖はその『ご領主様』に何かあったに違いないってな」
「え……」
 僕は、驚いて目を見張った。
 母から、そんな話を聞いたことは、一度もない。
 それに、それは共和制の国家の中に存在する都市の話とは、とても思えない。
 僕がそう言うと、彼は笑った。
「共和国を名乗っちゃいるが、東ゲヘナはもともと封建的な国だぜ。人種差別も根強いしな」
「それは……」
 たしかに、東ゲヘナに人種差別はある。
 国民は全て政府が発行するIDカードを持たされるのだけど、そのカードには名前や住所や年齢などの他に、遺伝子情報も書き込まれていて、どの人種なのかがすぐにわかるようになっているのだ。
 そして、人種によって、使える店や施設などが決められている。
 僕の母は『地の民』と呼ばれる人種だったけれど、父はそれより優秀とされる『月の民』で、僕は遺伝子的に『月の民』に分類されるらしい。なので、グランドールでくらしていたころは、『月の民』専用と決められた店や施設を利用していた。
 もちろん、そうしたことに反対する人々もたくさんいたし、僕もあまりそうした差別的なやり方は好きではなかった。
 けど、でも……さっきハイネが言ったことはまた、それとはちょっと違う気がする。
 僕がそう言うと、彼は小さく肩をすくめた。
「同じことさ。……あんた、亜人が市長に選ばれたって話を、聞いたことがあるか? まあ、亜人は一般的にもあんまり頭がいいと思われていないし、どこの国でもわりと『人外』扱いされてるけどな。けど、中にはものすごく人望のある亜人だっている。それでも、市長にはなれない。なぜなら、『月の民』でその都市の有力者でもある人物が、了承しないからさ」
 彼の口調は、まるで見て来たようで、実際にそういう事実を見聞きしたことがあるのだろうと思わせた。
「……そういう、ものなのかな……」
「そういうものさ」
 思わず呟く僕に、彼は再び肩をすくめて言う。
 そして、話題を変えるように、焼け残った屋敷跡をふり返った。
「それはともかく。そろそろ、調査を始めようぜ。俺たちは、そのためにここに来たんだからな」
「あ……はい」
 僕もうなずいて、彼の視線を追う。
 そこには、黒く煤け、焼け焦げたかつての屋敷の残りが、ほの明るい日射しに照らされて佇んでいた。

2017年11月21日火曜日

ハイネケン・ラドラム

【神聖暦5038年 2の月4日 雪】

 僕がメリザンドにやって来て、ちょうど一月が過ぎた。
 僕は相変わらず、リオーネ西地区の調査を続けている。
 今日の午後、他の調査で現地入りが遅れていた僕の相方――先輩にあたるハイネケン・ラドラムが到着した。
 彼は、僕より二つ三つ年上に見える。
 四方にはねた金褐色の髪と青い目の、明るい雰囲気を持つ長身の男性だった。
「すっかり遅くなっちまって、悪ぃな。一月も、あんた一人にやらせちまった」
 言って彼は、笑って僕の方に手を差し出す。
「ハイネケン・ラドラムだ。よろしくな」
「ニコライ・オーランドです」
 僕はその手を取って、名乗った。
「ニコライ……ニコ、でいいかな。俺のことは、ハイネと呼んでくれ」
「はい」
 僕は、うなずく。
 そして、少しだけホッとした。
 この人とは、研修期間中も会ったことがなかったし、補給部隊の面々からちょっとした噂ぐらいは聞かされていたけれど、実際には初対面に等しい状態だったのだ。
 だから、彼がいよいよやって来るとの本部からの連絡を受けて、どんな人なんだろう、うまくやって行けるだろうかと、不安だったのだ。
 でも、こうして対峙してみた印象は、そう悪くはなかったので、なんとかやって行けそうだと、感じていた。
 挨拶が済むと、僕たちは《白の広場》に張ったテントに腰を落ち着ける。
 彼の要請で、まずはこの一ヶ月の僕の成果を報告する。
 本部に送った報告書や定期連絡の内容は見聞きしているようだったが、彼いわく、実際に僕の口から話を聞きたいのだそうだ。
 彼は、僕の話を言葉を挟むことなく黙って全て聞いたあと、少し考えてから口を開いた。
「……この街が封鎖されたのは、ただ妖魔化病の蔓延のせいばかりでは、ないかもしれないな……」
「え?」
 驚いて、僕は目を見張る。
「あの当時、東ゲヘナは国内の何ヶ所かに軍の極秘の研究施設を造っていたらしい。……ほれ、一昨年だったかに、その設立に関わっていたとかいう軍の元おえらいさんが暴露本を出して、世間を騒がせただろうが」
 言われて、僕はそんなこともあったと思い出した。
 当時は僕も興味を惹かれて、その電子書籍を購入して読んだ覚えがある。
 それによれば、当時、東ゲヘナ政府と軍部の間では、妖魔化病は旧エテメナンキが大規模な人体実験を行っているのではないかという考えが主流だったらしい。そこでひそかに、その脅威に備えて軍備の増強を計るため、そうした極秘の研究施設が造られていったのだそうだ。
 施設で研究されていたものの中には、動物などによる実験を必要とするものもあったようだ。
 たとえば、人を一瞬にして眠らせたり殺したりしてしまうような薬だったり、細菌兵器や毒ガスなど。
 それを読んだ時には、結局やっていることは旧エテメナンキと変わらないじゃないかと思ったものだけど……。
 なんにしろ、そうした施設の中には実験の失敗や、開発途上の兵器の暴走によって建物や職員らに被害が出たものもあったそうだ。
「あ……。もしかして……」
 それを思い出して、僕は思わず声を上げる。
「この街にもそうした施設があって、そこで行われていた研究が失敗したのかもしれない……と?」
「ああ。そして、そうしたこと全てを隠蔽するために、妖魔化病にかこつけて街自体を封鎖した――ってとこじゃないかな」
 僕の言葉にハイネはうなずいて言った。
「ま、そのあたりは調査を進めて行けば、はっきりするだろうがな」
 続けて言うと、彼はノート型のコンピューター端末のモニターに表示された、この街の地図を示す。
「火災の痕は、北側の方がひどいんだったよな。……なら、こっち側を先に調査しないか?」
「北側……ですか」
 僕は示された地図を見やって少し考え、うなずく。
「わかりました。……それで、北側のどこを?」
「ここだ」
 彼が指さしたのは、北側に広がる小高い丘、ノーランド・ヒルだった。
 そこには、ノーランド農場という大きな農場と、その持ち主だったマクミラン・ノーランドの屋敷があった。
 ドローンが映した動画を見る限りでは、屋敷も農場もほとんどが焼け落ちてしまい、残っているのは瓦礫ばかりだった。
 ただ、僕たちがもらったこの街の資料には、封鎖以前に撮られた農場と屋敷の写真が添付されていた。
 それを見る限りでは、随分と大きくて立派な施設だったことが伺える。
 農場では、野菜や果物の栽培の他に、山羊の飼育も行っていて、山羊のチーズや乳、肉とその加工品も扱っていたようだ。
 また、ノーランド家は代々、街の発展にも貢献していて、そのため一家は常に名士の一族として尊敬と崇拝を集めていたらしい。
「北側の地域で、一番燃え方がひどいのは、このノーランド・ヒルだ。……つまり、火元はここだった、という可能性が高い」
 ハイネの言葉に、僕は小さく目を見張る。
 言われてみれば、そうだ。一番激しく燃えている、ということは、そこから火が出たと考えるのが普通だろう。
「……すみません。僕、全然そういうことを、考えてみませんでした」
「謝ることはないさ。俺が言ってるのは、ただの可能性の問題にしかすぎないわけだしな」
 思わず謝罪する僕に、ハイネは笑って言うと、続けた。
「それに、あんたは母親の生家にも、行ってみたかったんだろう?」
「あ……。ええ、まあ……」
 それも知られているのかと少し驚きながら、僕は曖昧にうなずく。
「なら、しようがないさ」
 ハイネはもう一度笑うと、肩をすくめた。

 そんなわけで、僕たちは明日から、一番北にあるノーランド・ヒルを調査することになったのだった。

2017年11月20日月曜日

定期連絡3

ニコライ:……以上で、定期連絡を終わります。
オペレーター:はい。……あ、待って下さい。一つ、伝え忘れたことが。
ニコライ:はい、なんですか?
オペレーター:現地着任が遅れていたハイネケン・ラドラムの件です。
       明日、そちらに着任することになりました。
ニコライ:え? じゃあ、以前の調査が終わったんですね。
オペレーター:はい。……明日より、二人で調査を行うことになります。
ニコライ:……わかりました。
オペレーター:そんなに、緊張しなくても、大丈夫ですよ。
       彼は、口調は乱暴だけど、根は優しい人ですから。
ニコライ:そ、そうですか。……会うのが、楽しみです。
オペレーター:(小さく笑いつつ)はい。では、伝達事項は以上です。
ニコライ:はい。……それじゃあ。

2017年10月15日日曜日

地下室の死体

【神聖暦5038年 1の月29日 はれ】

 リオーネ西地区のはずれにある一軒家の地下で、白骨化した死体を発見した。

 26日に補給部隊が来て、リオーネ地区で収集したものを持ち帰り、リオーネ地区についての報告書をメールに添付して提出したあと、27日から僕は、リオーネ西地区を調査し始めた。
 リオーネ西地区は、リオーネ大通りの西側に広がっている。
 ここも基本的にはリオーネ地区と変わらない庶民の住む区域だ。ただ、その北西には歓楽街が広がっているせいか、西に行くほど建物は老朽化がひどくなり、うらぶれた雰囲気になって行く。
 ちなみに、リオーネ地区も北東には貧民街が広がっていて、東に行くにつれてこんな感じだった。
 ただ、その家はそれほどひどい造りのものではなかったけれど。
 壁や屋根に苔が生え、植物があちこちから茎や葉を伸ばしていて、そのせいで壁に亀裂が入っていたり、屋根が崩れかけたりしてはいたが、それは基本、どこの家も似たりよったりだった。それに、どちらにしてもそれらは、街が封鎖され放置されたことによるもので、もともとのこの家の状態ではなかったことは、明白だった。
 玄関には、他の家同様に鍵はかかっていなかった。
 中には、必要最低限の家具が置かれているきりで、ひどく質素な印象だった。
 玄関から、台所兼居間、その奥の浴室などを見て回り、狭い螺旋階段を昇って二階へ行く。
 二階には部屋が三つあったが、一番大きい部屋にはベッドが三つ、他の二部屋にもベッドが二つずつあって、大勢で共同生活を営んでいたらしいと推測された。
 最初は宿屋かとも思ったけど、それにしては階下にフロントらしい場所がなく、独立した台所がないのも不自然だったから、たぶん、共同生活の方だろうと考えたのだ。
 どの部屋にも、物は少なく、住んでいた人々の生活を思わせるようなものは、ほとんど残っていなかった。
 ベッドの上や枕元などに、衣類が残っている場合もあったが、通信端末機やコンピューター端末のようなものは、どこにもない。
 収穫らしい収穫もないまま、僕は階下に戻った。
(さて。……これからどうしようか)
 もう少し、この一階を調べてみようか……と思案しつつあたりを見回した時だ。
 どこからか、かすかに音楽のようなものが聞こえて来た。
 僕は、その音に導かれるように居間を出て、玄関から続く廊下の先へと向かう。
 音は、廊下の突き当りの壁の向こうから聞こえていた。
(まさか、ここは……)
 壁に見えるが、出入口があるのだろうかとその壁に手を掛けて押してみると、壁は扉と化して難なく開いた。
 音は、先程からよりも大きく聞こえる。
 見れば、扉の先には下へと降りて行く階段があった。
 僕はカバンの中から携帯用のライトを出すと、それを灯して階段を降りて行った。
 階段はすぐに終わりを告げ、僕はほどなく地下室に到着する。
 足元から聞こえる音に、僕はライトの光をそちらへと向けた。
 光に浮かび上がったのは、銀色の小さなロケットペンダントだった。
 拾い上げようと身を屈めた僕の足元を、チチッ! と声を上げて小さな影が横切って行く。
 それは、ネズミだった。
 僕はちょっと驚いて動きを止めたものの、ネズミの姿が見えなくなると改めてペンダントを拾い上げた。
 中には写真などは入っておらず、ただ音楽が鳴り続けているだけだ。
 ロケットの蓋を閉じると、音楽は止んだ。
 たぶん、さっきのネズミがたまたま蓋を開けてしまって、音楽が鳴り出したのだろう。
 僕はそれを元の位置に戻すと、ライトでゆっくりあたりを照らしながら、見回した。
 隅の方に何かあることに気づいて、そちらに歩み寄る。
「うわっ……!」
 ライトに照らされたものを見て、僕は思わず声を上げた。
 それは、人間の骨だったからだ。
 壁に寄りかかるようにして、座っている。
 両手を祈るように組み合わせ、ボロボロの布をまとっていた。
 僕は、できるだけ静かにそれを覗き込む。
 恐怖はなかった。
 乾いて黄色っぽくなった骨は、なんだか人体模型のようで、その上にかつては肉や皮がついて動いていたのだと思えなかったせいかもしれない。
 と、組み合わせた手の間に、何かが挟まっていることに気づいた。
 明かりをそちらに向けてみる。
 それは、銀色の小さな人型の彫像だった。
「これってもしかして……サルバン教の?」
 思わず呟いたのは、その彫像を見たことがあったからだ。
 それは、東ゲヘナの殊に北部で信仰する人が多いと言われている、土俗の宗教だった。
 千年ほど前、この国をひどい飢饉が襲った。その時、北の地方で一人の聖人が飢えに苦しむ人々を救うため、奇跡の力で自らの肉をパンに、血を葡萄酒に変えて人々に分け与えたのだという。それを知った当時のその地方の役人やエテメナンキの牧師らは、自分たちが助かるために、その聖人を捕えて殺してしまったそうだ。殺せば、全身まるごとのパンと葡萄酒が手に入ると信じて。
 だが、聖人の死と共に奇跡は消え、役人たちと牧師らの手にはただ、死体が残ったばかりだった。
 役人たちと牧師らは腹を立て、弔うことすらせずに、死体を道端に投げ捨てた。
 一方、人々は聖人の死を嘆き悲しみ、せめて自分たちの手で埋葬しようと集落のはずれに運んだところ、死体はパンの山と葡萄酒の池となって、人々の飢えと乾きを癒したという。
 更に、後日この地方の人々の間に、聖人は肉と血を自分たちに与えて神エンリルの眠る楽園に行ったのだ、だからいずれまた新しい体を得て戻って来るに違いないという噂が、まことしやかに囁かれるようになったそうだ。
 そうした出来事があって、いつしかその聖人は信仰の対象となった。
 それが、サルバン教だ。
 ちなみに『サルバン』は、その聖人の名前だと言われている。
 僕が通っていた大学にも、サルバン教を信じている人がいて、だからこの彫像を見たことがあったのだ。
(……そうか)
 ふいに僕は、合点がいった。
 この家はたぶん、サルバン教の人々が共同生活を営む場所だったのだ。
 そう、サルバン教を信じる人々の中でも、貧しい者たちは時に一軒の家に共に暮らすことで少しでも貧しさを緩和しようとするのだと、聞いたことがある。
 彼らは、少しでも自分たちのくらしが楽になるように、決まった時間に毎日集まっては聖人に祈りを捧げるのだとも聞いた。
 たぶん、この地下室はその祈りのための部屋だったんだろう。
 妖魔化病による騒乱の恐怖もあって、ここに逃げ込み、そのまま飢えて死んでしまった……とかだろうか。
 僕は、カバンの中からカメラを取り出した。地下に降りる前から録画すればよかったと、少し後悔しながら、動画の録画ボタンを押して、ゆっくりと室内の様子を撮影する。
 撮影中に、奥の壁にもう一つドアのない入口があることに気づいた。
 撮影しながら、その中へと足を踏み入れる。
 ……そちらには、複数の白骨死体が並んでいた。
 どれも皆、最初に見たものと同じく、両手を祈るように組み合わせてその場に座っていた。身にまとっているのは、ボロボロの衣類だ。
 僕は、それもまた撮影し――むろん、彼らが両手の間に挟んでいる彫像も、ズームで映した。
 それを終えると、僕はそっと彼らの遺体に頭を垂れ、そのまま部屋を後にする。
 ここのことは、早急に本部に連絡しよう。
 白骨化してしまっているとはいえ、彼らは当時のことを知るための重要な手がかりになるかもしれない。
 それにたぶん、調査が済めば、ちゃんと葬ってあげることもできるだろうし。
 僕は地上に出ると、見落としがないかを確認するため、もう一度家の中を見て回ってから、そこをあとにしたのだった。

2017年10月14日土曜日

母の日記帳

【神聖暦5038年 1の月25日 くもりのち雪】

 明日には、食料や水などを持って調査室の補給部隊がやって来る。
 彼らには、リオーネ地区で収集したものを持って帰ってもらう必要があった。
 ここに到着する前は、だいたいのものはデジタルだからオンラインで送れるだろうと思っていた。
 けど、案外、『実物』が存在するものが、リオーネ地区には多かった。
 たとえば、写真や動画がたっぷりと詰まった記録メディア。手紙や料理のレシピをプリントアウトしたもの、などなど。
 こうしたものは、それそのものが貴重な資料だから、当然、マリーの調査室本部に届ける必要がある。
 そんなわけで、この日僕は、それら収集したものの整理をしていた。
 テントの中に広げた収集物一つ一つに、リオーネ地区のどこで、どんな状態で見つかったものかを詳しく記録した電子タグを付けて行く。
 その手が、母の日記の所で止まった。
(母さんの日記帳……)
 僕はなんとなく、その表紙を手で撫でる。
 母の家から持って来てすぐに、僕はためらいながらも、そのノートを開いて読んでみた。
 書かれていたのは、日々のくらしや友人たちのことなど、たわいのないことばかりだった。
 誰と誰がケンカしたとか、友人たちと一緒にお菓子を作ったとか、誰の作ったものが一番上手だったとか。
 そこにいるのは、十代のごく普通の女の子で。
 ただ、読みながら、僕の知る母とも重なる部分があって、それが妙にくすぐったく感じたりもした。
 同時に、なんだか不思議な気分にもなった。
 僕の知る母は、無邪気だったりのんびり屋だったりする部分はあっても、ちゃんと大人の女性だった。
 その母に、こんな少女時代があったなんて、すごく奇妙な気がするのだ。
 でも……そうだよな。僕にだって子供時代があったように、今大人になっている人たちにだって、ちゃんと子供時代はあったんだ。
(……これを他の人にも読まれてしまうんだって思うと、ちょっと恥ずかしい気もするな……)
 僕は、ふとそんなことを思う。
 とはいえ、これは他の収集物と同じく、『大切な資料』なのだ。本部に、渡さないといけない。
 けれど……なんとなく名残惜しい気持ちになって、僕はノートを手に取ると、パラパラとページをめくる。
 三十八年前――僕が生まれるよりずっと前、この街は多くの人が住んでいて、その中には母や祖母もいた。僕が一度も会ったことのない祖父と、叔父さんも。
 彼らは、今他の街でくらしている多くの人々と同様に、毎日を楽しんだり悲しんだり苦しんだりしながら生きていた。
 僕が収集した資料は、そうしたこの街の人々の日々を知るための、大切な資料なのだ。
 母の日記も、また。
「母さん、ごめんね。日記、他の人にも読まれてしまうけど……」
 僕は低く謝罪の言葉を呟いて、ノートを閉じる。
 電子タグを付け、補給部隊に持ち帰ってもらうものの入った箱の、一番上に乗せた。

2017年9月27日水曜日

定期連絡 2

ニコライ:本日、リオーネ地区の調査が終了しました。
イズミ:ご苦労だった。
    保存状態はどうだ?
ニコライ:火事の痕はほとんどなく、比較的いい状態でした。
      ただ、不思議ではありますね。当時軍は、本当に街全体に火を掛けたのでしょうか。
イズミ:資料では、そうなっているがな。
     ところで……母親の家には行けたか?
ニコライ:え?
イズミ:君の母親の実家もたしか、リオーネ地区にあったはずだが。
ニコライ:ご存じだったんですか……。
イズミ:新たに雇う者に対しては、一応、身元調査をしているのでな。
ニコライ:そう……なんですか。
イズミ:ショックか?
ニコライ:いえ、そういうわけでは……。
イズミ:それで? どうだったんだ?
ニコライ:はい、母の家にも行って来ました。……なんだかちょっと、変な感じでした。
      僕の知っている母は、大人の女性なのに、部屋にあるものは、少女めいていて……。
イズミ:それはしかたがないだろう。実家にいたのは、十代のころなのだろう?
ニコライ:はい。それはそうですが……。
イズミ:(小さく苦笑して)まあいい。引き続き、調査を頼む。
ニコライ:了解です。